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2009年2月

2009年2月28日 (土)

春の蛍

昨夜、蛍の光を見た。目に見えたのではなく、光を感じた話。

槇原の曲「Firefly~僕は生きていく」の中に次のような歌詞がある。

「太陽の下では見えない

蛍の淡い光のように

自分がここに生きる意味など

ないように思っていたけど

同じように暗闇の中

望み絶えそうな誰かに

君と同じ気持ちを僕も

知っているとただ伝えたいんだ」

数日前、ブログを読んだ方からメールをいただいた。年齢も近く境遇も似ているということで、何度かメッセージをくださった。昨夜は、その言葉の中から心遣いを感じて感動。私にとっての蛍の光。ああ、ありがたい。

私も「誰かの幸せの小さなきっかけになりたい」と思った。

2009年2月26日 (木)

TOMORROW

勤務校の「6年生を送る会」を見てきた。今日は担当授業もなし。行事のある日は今までなら休みになるところ、「こんな時じゃないと全校の様子を見られないでしょうから…。職員の出し物もあるので一緒に参加してください。」と言われ、出勤することに。

授業がないと、気分的にゆったり。行事までの時間は、明日からの授業の準備をする。マイペースで仕事を進めることができるのはいいけれど、ちょっと物足りない。大変だと言いながらも、やはり子ども達と直接ふれあえる授業がないと淋しいかな。

「送る会」に、ほぼ見るだけの形で参加したのは初めて。かわいらしい子ども達の姿、1年生から6年生までの成長がよくわかる。体の大きさ、声色、発表の内容。よく知っている子達だったら、もっと感動的だろうなあ。残念ながら5年生の子達しか知らない。

児童会行事なので、子ども達が表に出る。「先生達、大変だったろうなあ。」私も1年前は目まぐるしかったからなあ。今から思うと、懐かしいけど。発表の中には担任していた時に指導していた合唱や合奏もあり、当時の子ども達のことも思い出していた。

職員の出し物は「TOMORROW」の合唱。♪涙の数だけ強くなれるよ~職員の平均年齢が高く、40代。練習時間もなく新しく覚えられないので、誰でも知っている歌ということで決まったらしい。

今日は出勤扱いで楽しいひとときを過ごすことができた。いつも頑張っているので、こういう時があってもいいかな。でもやっぱり、見るだけのお客さんになるより、大変でも練習の段階から関わる仕事が好きだということがわかった。

2009年2月23日 (月)

最期

テレビのニュースでは、邦画作品が受賞した話題。主演男優の読んだ本が制作のきっかけになったらしい。

映画は観てないけれど、その本「納棺夫日記」は十数年前に読んでいた。細かい内容は覚えていないけれど、読んだ後は死への恐怖感が少し薄れたように思う。

家族の死。近いところでは、9年前に祖母が亡くなった。

祖父、父は病院で亡くなっていたこともあり、祖母は「家で死にたい」と言っていた。94歳の時、脳梗塞で1か月入院。半身麻痺になり言葉も出なくなったけれど、自宅で介護することに。ちょうど私が料理の仕事を始めたくらいの頃で、週2日ほどしか仕事に行ってなかったので、祖母が望む?ようにした。

祖母は息子(私の父)を先に亡くし、その頃から痴呆症(当時)も進んでいた。孫の私が言うことは素直にきいていたけれど、嫁姑の関係もあり母には厳しかった。母の介助を祖母が拒否することもよくあり、母は大変だったと思う。

3ヶ月ほど自宅で介護するうち、祖母は次第に体が弱っていき、自分のベッドで安らかに息を引き取った。最後の3日間、看病に泊まりに来てくれた娘(叔母)に看取られながら。

祖母の最期を見た私は、「死」は忌み嫌うことではなく、「誕生」と同じで自然なことなんだと感じた。

自宅での最期は穏やかで、家族もゆったりとした別れの時間を過ごすことができた。叔母が体を拭き、祖母が自分のために縫っていた白い着物を着せた。祖母がまだ元気な頃、「私が死んだ時はこの着物を着せてね、ここの引き出しに入れて置くから。」と私に言っていたのを思い出し、タンスを開けたらあった着物。そんな思い出もみんなで話すことができた。

私の自己満足かもしれないけれど、祖母はあれでよかったと思っている。

そして今、母があの頃の祖母の様子と似てきている。

「おむつがいる寝たきりになったら仕方ないけど、そうじゃなかったら家にいさせて。あなたに迷惑がかかるかもしれないけど、病院や施設には行きたくない。」と母は言っている。

できる限り、そうしたいなあと思っている。

2009年2月21日 (土)

少しの自由時間

仕事以外で出かける時は、ほとんどが母と二人。仕事の日も母が私の帰りを待っているので、寄り道もしない。

今日は久しぶりに昼間一人の時間ができた、今年初めてになる。3時間ほどだけど。母は義妹のお母さんの一周忌法要に出かけた。弟が迎えに来てくれた。

家の中でボーッと過ごすのも好きだけど、こんなことは滅多にないので、出かけることに。天気もよくて気持ちいいし。ただし時間は短く限られている。考えた末、行き先は昨秋オープンしたショッピングモールに。山を越えて片道1時間強、途中でうどんを食べる。着いたらグルッと見てまわるだけで買い物もしなかったけど、行ってよかった。なかなか自由な時間がない中をやりくりするから楽しいんだろうな。

出発して3時間ちょっと、家の近くにさしかかると、母が歩道をフラフラヨロヨロ歩いていた。遅れたー、先に帰り着いていたようだ。私の姿を見つけると、手を振って合図して嬉しい表情に。帰宅して私がいなかったので、近くの図書館まで探しに行っていた様子。子どもみたいでかわいい。

いつも顔を合わせていると、文句も言いたくなる。こんな時間も必要だということかな。

母を迎えに来た時、弟と少しだけ話した。弟は母の体のことや家の経済事情を心配していた。どちらもどうにか大丈夫と答えた。弟は実際それどころではなさそう。息子の進学があり、さらに家を建てることも決めたらしい。「思い切ったねえ。でも、張り合いがあっていいかも…。」と言ったものの、大変だろうなあ。

年をとってから、私と弟は外見がそっくりになってきた。父に顔がよく似てきた。でも、その人生は兄弟でも大きく違う。あー、おもしろい。

2009年2月20日 (金)

来年度も

校長室に来るように言われた。

来年度の話だった。

「4月からも引き続き本校で学力向上推進事業の講師として、週12時間勤務をお願いできないでしょうか?」と校長先生。

「はい、いいですよ」と私。

お願いされるなんて、職を失う人が多い中ありがたいこと。この年齢になると、私なんか他の職場では雇ってもらえないだろうし…。

先月は「辞めたーい!3月までで辞めてやるー!」と思う時もあった。辞めて何がやりたいのかを考えた。特にない。やはり学校勤めを続けたいということがわかった。

それに、今の仕事は母の介護や家事をしながらでもできている。

大変だと言っても、やりがいがあるし、楽しいことも多い。授業するのはおもしろい。

来年度も楽しくやっていきたいなあ。

2009年2月16日 (月)

どうにか…

確定申告を終えた。それも初めての電子申告。

私はパソコンも苦手なので大変だった。でも、こんな小さなことでもやり遂げることができて、今は「よくやったよなあ」という気分。昨年の登録から手間取ることが多く、何度も投げ出しそうになっていたんだから。実は今日の夕方も、途中で操作がわからなくなるし、やっと申告書ができたと思ったら送信できなかった。

再度夜に挑戦。どうにか送信完了。やったー!

諦めずにここまでやれたのは、昨年から時間もお金もかけていたから。住民基本台帳カードを作ったり、専用のカードリーダライタを買ったりもした。止めるのは簡単だけど、使わなかったら勿体ないし、悔しいなと思って…。

それに今回は、初回ということで控除もある。昨年の1~4月はしっかり働いたので、還付される源泉所得税もある。

給料の半月分くらいが戻ってくる予定(といっても、今は月収自体が少ないけど)。納めすぎているのだから当然のことなんだけれど、やはりうれしい。何に使おうかなあ。

まあ、苦手なことからも逃げてばっかりじゃなく、今回の調子で少しずつやっていけたらいいな。

2009年2月15日 (日)

子ども駅伝

市内で子ども駅伝大会があった。今年で19回目と知って、ビックリ。どうしてこの土地で駅伝?というイベントなのに、よく続いている。これまで私は一度も見たことがなかった。

今回は家のすぐそばの道路がコースに。花火が揚がったり、案内のアナウンスが聞こえたり。あまり興味はないけれど、外に出てちょっと見てみる。

駅伝は終わっていて、交替要員(補欠)用のミニマラソンがあっていた。ちょうど1.2年生が走っていた。あまり地元の子はいない様子。スポーツチームのユニホーム姿が多く、ネームには都市部や遠くの町の地名が多く見られる。その中に以前勤めたことのある町の名のついた野球のユニホームを見つける。知っている子がいるかもしれない!思いを巡らす。

2年前の2,3月の2か月だけ病休代替で1年生を担任した。家よりもっと田舎の小さな学校。1年生が一番人数が多く、それでも13名。その中に野球チームに入っている子がいたけどなあ。今は3年生になっている。

3,4年生のミニマラソンのスタート。ユニホームを目印に探す。

あっ、いたー!「Tくーん」と、名前で呼んでみる。走りながらチラッとこちらを見る。わからないだろうなあ。

復路。先頭集団より遅れ気味。今度は「Kくーん」と、名字で呼ぶ。エッ?という顔で私を見る。気づいてくれたのか、走りながら深く頭を下げていった。

ただそれだけ。でも、うれしかった。

生活科の「昔の遊び」の学習で、ぶんぶんごまを作って遊んだこと、「6年生を送る会」で「大きなかぶ」の音読劇をしたことなどを思い出した。

今日は駅伝の関係で朝から夕方まで車の出し入れができず、嫌だなあと思っていたけど、KT君の姿を見ることができて爽やかな満足感。

2009年2月13日 (金)

卒業に思う

まもなく卒業シーズン。私が最初に卒業学年を担任したのは20代の頃。そして、彼らはもう30代。

若くて情熱もあったと思うけれど、経験不足で空回りすることも多かった。そんな私を子ども達が支えてくれたとも言える。

卒業式の日にはプレゼントをくれた。「先生、ありがとうございました。これ、みんなからです。」と言って、なぜか貯金箱・カップ・クッションをもらった。小学生らしい、かわいい。これとは別に1本のカセットテープもいただいた。

男女5人からのメッセージ入りのテープ。私は卒業式の翌朝、出勤時の車の中できいた。一人一人自分で選んだと思われるBGMにのせて思い出や感謝の言葉。どちらかというとやんちゃな子達。私は感激して、運転しながらも泣きっぱなしだった。

中でも忘れられないのはK君の言葉。私に反抗的態度をとることが多かった彼。BGMはブルーハーツの「Train…」。

「エト先生、『バカ』とか言ってごめんなさい。先生は優しいですね。先生は先生を辞めないでください。」

短い言葉でボソッと。

私の中でのK君は、光ゲンジのものまねをしている姿のまま。

彼は高校生の時、バイクの交通事故で亡くなった。

「K君、私は一度辞めてしまったけど、今また先生をしているよ。」

2009年2月11日 (水)

センセーおいちゃん

昨日、甥(弟の子)が大学に合格したという連絡があった。それも第一志望。よくやったと思う。東の方の大学の体育学部らしい。

彼は昨年秋、その第一志望校の推薦入試で落ちていたので、本人はもちろん家族も合格を喜んだことだろう。私もうれしい。

甥は私のことを「センセーおいちゃん」と呼ぶ。私が学校勤めを辞めてからも変わらない。彼が小さい頃、質問されたことを思い出した。

「センセーおいちゃんはお父さんより年上なんに、何で結婚しとらんの?」

不思議そうな顔で素朴な疑問をぶつけてきた。

「何でかなあ」と私は笑いながらごまかし、答えなかった。

その時1回きりで、以来きかれることはない。兄や弟、その家族からも尋ねられることはなかった。

両親、祖母からは結婚を勧められることはよくあった。父も祖母も亡くなり、母ももの忘れが激しくなってからは、結婚のことは言わなくなった。

この年になると、職場では、当然結婚していて大きな子どもがいると思われているのか、誰もきかない。年末の忘年会の時、ある職員と話していて、私が独身ということがわかると、エーッ!と驚かれた。それだけで終わったけど。きいてはいけないことだったのかなという雰囲気になり、すぐに話題は変わった。

結婚しない理由を問われることもなくなり、煩わしさはなくなった。

でも、今甥からきかれたら、どう答えるかなあ。

「センセーおいちゃん、何で結婚せんの?」

「…?」

2009年2月10日 (火)

送る会

授業後、実験器具の後片付けをしていたら、隣の教室から歌声が聞こえてきた。子どもの顔は見えないが、何か心に沁みる。合唱団のように美しいというわけではないし、上手とは言えないのだけれど、気持ちよく歌っている感じが伝わってきた。

月末にある「6年生を送る会」に向けての練習のようだった。その後、リコーダーの重奏もあった。いい音色にしんみり。

自分が指導している時は、こんな気持ちにはなかなかなれない。送る会などでの発表を控えていれば、それに向けて「もっとこうしたらいい」といった評価的な聴き方になる。

今日は違った。子どもの心から出た歌を味わっていた。

最初に学校勤めをした頃は、5,6年担任が続き、児童会活動担当を兼ねることも多く、「送る会」のこの時期は大変な忙しさだった。

復帰してからは、臨時のため毎年勤務校が違う。学校によって行事への取り組み方も様々で、慣れずに大変。去年は、感謝の掲示物づくり、6年生へのプレゼントづくり、6年生一人一人へのメッセージ入りの寄せ書きづくり、それに「送る会」当日発表の合唱と合奏の練習と盛り沢山で、目まぐるしい日々だった。

「よくやった」「やりとげた」はあったけど、「楽しんだ」ということはなかったように思う。

今年は非常勤のため、「送る会」当日は担当授業もないと思うので、たぶん休み。行事に参加しないのも少し淋しいけれど、準備や後片付けの時に聞こえてくる歌声や音色をしみじみと味わえるから、それもいいかな。

2009年2月 7日 (土)

家事ゲーム

今年から買い物でよく利用するようになったスーパーがある。昨年までよく行っていたショッピングセンターより規模はずっと小さいが、家から近い。そばをよく通り、いつも車が多く駐まっていたので気になってはいた。

何度か買い物をするうち、何かいい気分。食材を選ぶこと自体が楽しい。価格が特に安いセール商品もあるようだが、私が好きなところは品揃え。値段は少し高くても、私が買ってみたいなあと思える品物が結構ある。量も少なめの物がある。家は2人なので、野菜類は多いと使い切れないので助かる。従業員の方の対応も落ち着いていて、私好み。

母を車に乗せて待たせているので、ある程度時間制限もある。そこもいいのかも。ゲーム感覚で家事も楽しめるもの。

調理する時もやりくりを楽しんでいる。

母は私が台所に立つと、落ち着かなくなる。気の毒に思うのか、まわりに来てソワソワし始める。ハッキリ言って私は仕事にならない。もともと料理は苦手な人だし、今は手伝うこともできなくなっている。

夜母が寝静まってからは、私の方がやる気がおこらない。そこで、母がいないうちに短時間で調理することに。郵便物の投函、クリーニング取次店行き、歩いて行けるスーパーでの買い物(一品)など、どうにか母ができるおつかいを頼んで一人の時間を作り、家事をこなしている。母も「お手伝いができてうれしい」と喜ぶので、いい感じ。

今やっていることの中から楽しみを見つけられるってことも幸せかな。そんなことを考えながら、ますますゆったりとした気分になっている。

2009年2月 4日 (水)

吐き出した後

4連休中に体調も回復。今日は久しぶりの出勤といった感じ。出勤簿の日付を見間違えて3月4日に押印してしまった。でも、気にならない。

事務官の先生に「すみませーん、実は…」と話すと、「3月4日は絶対休んではいけませんよ、フフッ」と笑いながら言われてしまった。その言い方にホッとさせられる。

時間割の変更を言われる。3,4校時に。ホントは嫌だけど、笑顔で「ハイ、私はかまいませんよ。」 4校時に授業を入れてほしくないんだけどなあ。4校時の授業終了時刻と私の勤務終了時刻がいっしょだから。帰りが遅くなるー。

実験で使う「ホウ酸」が薬局から届いていた。薬品管理簿への記入の仕方を尋ねると、教頭から教務主任に話がまわされ「ホウ酸だけでなく、薬品庫にある全薬品の残量チェックをして薬品在庫一覧表を作成してください」だって。「エッ?この私に、いつやれって?それに、臨時のパートに任せていいことなのかなあ?」それでも、少しの間の後「ハイ。」まっ、信頼されて任されたと思っておこう。できるかどうかはわからないけどね。

授業では、前の時ほどは気にならなくなったけど、担任の横からの口出しは続く。「始めまーす」の挨拶で気持ちよくスタートしたつもりが、「やり直しー」の恐い声。授業者の私はOKなんだけどなあ。姿勢が悪いために、イスをガタッと倒す子がいたら、即「こらっ、せーざー」で、許可が出るまで床に正座して授業を受けることに。今日は3人。その度に私がビクッ。気が散るんだよなあ、イスの音以上に担任の声に。でも、この先生のやり方だから、仕方ないんだよね。

授業後は大急ぎで実験器具類の後片付けと明日の簡単な準備。やっぱり、勤務時間を大きく過ぎてしまった、40分。

それでも、あまり嫌な気分じゃない。どちらかというと、爽快。

考えてみると、このブログでいつも吐き出しているからなあ。昔のことも結構吐き出したから、かなりスッキリ。その上、コメントやメールをくださる方もいて、大喜び。ありがたい。

吐き出した後は、次どうなるのかなあ。自分でもわからない。またすぐに溜め込んでは吐き出していくことになるのかも。

2009年2月 3日 (火)

好きなことは何?

自分の好きなことをドンドンやっていきたいと思う。

でも、趣味は何?ってきかれたら、返事に困る。

山歩き、読書、中国語、旅行、太極拳、気功、料理、散策。これまでのことを書くと、こうなるけど、どれも「あー、おもしろい」という感じじゃない。それに、誰かといっしょに楽しむということもほとんどなかった。

職場でも話が合わなかった。麻雀、パチンコ、釣り、ゴルフ、野球、スポーツ観戦。全くといっていいほど興味がなかった。

仕事上のつきあいは明るく笑顔でやっていたけど、プライベートでのつながりは少なかったなあ。自分の弱さを見せようとしなかったし、人の輪にも入っていこうとしなかったし。何が楽しくて生きてるの?って感じだったと思う。

それで、生きる意味を求めて生きるなんてことになったのかなあ。

趣味と言うと、また趣味に生きるとなりそうなので、今は、「いいなあ」「おもしろいなあ」って感じることをあれこれやっていこうかな。

2009年2月 2日 (月)

子どもの頃

2日連続で9時に寝て9時に起きる。年をとってから?は朝の目覚めが早くなっていたので、久しぶりの朝寝が気持ちよい。頭のしんが少し痛み、腰もだるいのだけれど、それでもいい気持ちで、布団の中でウーッと言いながら体を伸ばす。

今日も一日ダラーッとすごし、昨晩録画していた「情熱大陸」を先ほどみる。出演者はトランスジェンダーの有名モデル。

子ども時代、親から「男らしくしなさい」と言われ続け、ある時「あなた、キモいのよ」という母親のひと言にショックを受けたことが語られていた。

私の子ども時代はどうだったかなあ。

小さい頃、遊び相手は女の子が多かった。まりつき、ゴム跳び、ビーチバレー、お手玉…。一人遊びは、ままごと、雑誌の付録の着せ替え人形、リリアン…。

自分のことは「エトがする」というように名前で言い、「僕」「俺」が言えなかった。

小学校高学年から中学校にかけては、「女みたい」「気持ち悪い」「おかま」などとバカにされて笑われたこともあった。

でも、家では遊びも言葉遣いも仕草もおかしいと言われなかったし、「男らしくしろ(しなさい)」もなかった。次第に自分で変えていったところもあるけどね。

それにしても、ありがたい家族。

2009年2月 1日 (日)

ダラーッと…

午後ある歌手のコンサートに行く予定だったけど、とりやめた。

チケットも買っていたので勿体ないかなと思ったけど、何か気が進まなかった。朝目覚めた時の気分で、すぐに決めた。すると、不思議と落ち着く。

やる気がおこらないので、ダラーッとすごす。疲れがたまっていたんだろうなあ、無理していたんだろうなあ、と気づく。自分の体に目を向けることができた。病気というわけではないけれど、治る過程で味わう感じがして心地よかった。

「~せねばならない」「~してはいけない」という生き方(長年の癖)が出てきてしまう。でも、それに気づくこともかなり早くなったかな。のめり込みの癖も出ていたみたい。最初は好きで始めたことでも、のめり込むうちに続けることの記録に挑戦するような形になってしまい、無理して続けることが多い。

自分の好きなことをして、好きじゃないことはキッパリとやめていけばいいんだよね。そうは言っても、人の気持ちを考えたり、人の目を気にしたりして、自分の中でおかしくなっちゃうんだろうなあ。

今日、勤務校は日曜参観日。私は休みの日で行ってないけど、明日は代休なので当然私も休み。やる気がおこらなかったら、またダラーッとすごそうっと。

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